2007年02月28日

織田信長・総見寺

総見寺(名古屋市中区大須3)織田信長の墓がある。
気にかけて時々見にいくのですが、いつもは門が閉まってる。
ひょっとして6月2日の命日はと思い出かけてみました。
願いはかない、織田信長の墓におまいりをしました。
と、言うことは、年に1度しか門が開かないのでしょうか。


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2007年02月27日

織田信長・愛宕神社

ドラマでは、あまり具体的に描写されないのですが、
本能寺の変を前にした50半ばの明智光秀が詣でた愛宕神社は、
ただ近所にある神社ではないのです。
標高924メートル、山麓の清滝からでも約2時間の登山が必要になるのです。     
深刻な思いを胸にいだき、一歩一歩、自分の決意を固めるように登りつめたのでしょうか。                 どうか心に留めていただきたいのです。


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2007年02月26日

織田信長・本能寺

京の豪商茶屋四郎次郎は,六代まで中京区新町通
蛸薬師下るに居を構えていた。
初代清延、2代清忠、3代清次。
清延は徳川家康の伊賀越えに協力したことで知られる。
最近、加藤廣著「信長の棺」で本能寺と南蛮寺について
書かれているが、(是非、読んでみて下さい)
茶屋邸跡は、本能寺と南蛮寺の中間にある。
これは何を意味しているのだろうか。


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2007年02月25日

織田信長・松坂屋

大丸と松坂屋が経営統合を検討しているとのこと。
織田信長の家臣であった伊藤蘭丸祐道(すけみち)が、
1611年(慶長16年)に、清須から新しく城下町を
築きつつあった名古屋に移り、本町に店を構えて
呉服小間物商の看板を掲げた。
これが、松坂屋の前身である。


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織田信長・ヴィジョン

尾張の半分も持っていなかった家に生まれた織田信長がなぜ天下を取れたのだろうか。
運がよかったんだろうか。
信長には「天下を取る」という明確なヴィジョンがあったからなんだ。
その当時、武田信玄のほうが天下に近かったかもしれない。
しかし、信長よりも「天下を取る」という意志が遅かったんだ。
目的意識を持っていないと、歴史のなかで物事を達成できない。
ヴィジョンのある人に利用されるんだ。
このことは、人生についても同じことが言える。ヴィジョンを持ち、決意をし、実行さえすれば、足らない所が見えてくる。あとは誰かから借りればいいんだ。
田信長であれば、明智光秀であり、豊臣秀吉ということになるかな。
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2007年02月24日

織田信長・本能寺

島津義久は戦国末期の島津家の当主で、薩摩・大隅・日向を
領し、北進して一時期は、ほとんど九州全域を制した。
島津義久の妻は、種子島時尭の娘である。
島津義久の妻・妙蓮夫人(種子島時尭の娘)の墓と供養等は、
京都の本能寺と鹿児島福昌寺跡、国分遠樹寺跡にある。
本能寺にもあるのです。


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2007年02月23日

織田信長・鉄砲

1543年、ポルトガル人、種子島に漂着し鉄砲を伝える。
島津氏の家臣で種子島の領主・種子島時尭は、鉄砲
の威力を見て、即座の2000両の大金を支払って二挺の
鉄砲を購入。その後、日本製の鉄砲を造ることに成功。
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2007年02月22日

織田信長

本能寺は、地方にも布教し、日承の時代には末寺が畿内、北陸、
瀬戸内沿岸諸国さらに種子島(日典寺)まで公布した。



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2007年02月21日

織田信長

津島湊(現在の愛知県津島市)は広さ五〜六ヘクタールに及ぶ
湊町・門前町として繁昌した。
商都津島を支配した勝幡城(現在の愛知県稲沢市)の織田家は、信定・信秀と次第に勢力を広め、信長は天下布武をとなえ天下
統一の基礎を築いた。


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2007年02月20日

織田信長

1549年、弱冠16歳の織田信長は、近江の国友村
に500挺もの鉄砲製作を依頼している。
織田家はどれ程の財力があったのだろうか。
かなり裕福であったといわざるを得ない。
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2007年02月10日

織田信長

吉乃は信長の母である土田御前と姻戚関係にある。
土田御前の甥、土田弥平次に嫁ぐが、戦死。
その後、織田信長の嫁ぎ、信忠・信雄らを生む。
土田氏は明智氏の家臣ともいわれる。
信長と光秀の関係はどんなだったのだろうか。



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2007年02月09日

織田信長

斉藤道三と小見の方の間に生まれた娘濃姫が、
一歳年上の織田信長に嫁いだ時、
道三の近習に十兵衛という少年がいた。
小見の方は美濃国可児郡の明智城主明智光継の娘で、
十兵衛の父光綱と兄妹の間柄である。
従って、十兵衛は小見の方の甥に当たり、
濃姫とは従兄妹になる。
やがて十兵衛は光秀を名乗る。
光秀と信長の関係はどんなだったのだろうか。


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2007年02月08日

織田信長

岐阜県揖斐郡にある春日局出生地の帰り、
道国道417号線を大垣方面に向っている時、
春日局と織田信長ゆかりの地の案内板があり、
不思議でなりませんでした。   
養源院跡には、春日局の祖父の墓や
織田信長の乳母(養徳院)の夫・池田恒利の墓が
同じ場所にありました。
明智光秀と信長はどのような関係だったのだろうか。
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2007年02月06日

織田信長

織田信長の母・土田御前の出生地の一つに
岐阜県可児市土田の土田城がある。
土田氏は明智氏の家臣ともいわれる。
確かに土田城は、明智光秀の出生地の
周辺にあることは確かである。
信長と光秀の関係はどんなだったのだろうか。
なお、土田御前の出生地には尾張国海東郡土田説もある。


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2007年02月04日

織田信長

織田信長をすごいと思う人は多いかもしれませんが、
安土城を訪れた人は少ないかもしれません。
是非、安土城を訪れてくだい。
信長を本当にすごいと思いますから。


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織田信長

織田信長父子廟のある岐阜市の崇福寺は、美濃守土岐成頼と
斉藤長弘(利安)が建立したとある。
春日局のゆかりのある白樫城に斉藤一族の墓がある。
初代利安公、二代利賢公、三代利三公とある。
斉藤利三の母は、明智光秀の妹だったとも言われ、
光秀の家老をつとめる。
本能寺の変にも従軍している。
織田信長父子はこのような寺に眠っている。


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