2007年06月25日

明智光秀・細川ガラシャ・細川護熙首相

細川ガラシャの最期は切支丹殉教の栄光とも思えるが、
華のようにパッと咲き散った父光秀の最期を知った以後、
ガラシャ自らもその゛時゛を求め続けていたのでしょうか。
散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ
という辞世の歌がそのことをもの語っているように思えるのです。
この句は、旧熊本藩主細川家18代の末裔にあたる
細川護熙首相が1994年4月佐川急便グループからの
1億円の資金流入問題に端を発し
国会が空転した責任を取る形で首相退陣した時
引用した事でも知られる。
posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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大徳寺 高桐院(こうとういん)
Excerpt: 『大徳寺 高桐院(こうとういん)』
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