2007年07月11日

徳川家康・異母弟

広忠寺(岡崎市桑谷町堀切)
永禄5年(1562)家康が、非業の死を遂げた
父・広忠の菩提を弔うため創建した寺。
徳川家康と同じ年の同じ日に生まれた異母弟が住職になり、
母のお久とともに広忠の供養に勤めた。
境内にお久、広忠、忠政(広忠とお久の子)の墓がある。

posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月10日

徳川・三河・足利

足利氏と三河
承久の乱(1221)後、三河守護に任命されたのは足利義氏である。
足利氏は、源氏の一流で、下野国足利荘を本貫地とし、
熱田大宮司家とも姻戚関係にあり、
義氏の父義兼の母は熱田大宮司範忠の娘であった。
posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月09日

徳川家康・於大の方

享禄元年-慶長7年(1528-1602)徳川家康の生母。
三河(愛知県)刈屋の城主・水野忠政の娘。
天文10年(1541)岡崎城主・松平広忠と結婚。
翌年に家康を生む。
後に離婚して阿古屋城主・久松俊勝と再婚するも
人質として織田方や今川方を転々とする我子家康を慰め、
音信を断たなかったという。
posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月08日

家康・築山御前・織田信長の娘徳姫・信康

家康の長男信康は、織田信長の娘徳姫と結婚し、
家康が浜松城に移った年(1570)岡崎城主になりました。
信長は、信康の母・築山御前が今川方の出身であり、
武田方と内通しているとの理由で、築山御前と信康の処断を家康に迫りました。
家康も助命のために努力しましたが、果せず信康は自刃、
築山御前は殺害されてしまいました。
posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月07日

松平久子・家康・明智光秀・遠山の金さん

遠山の金さん
「そんなに遊び人の金さんを見たいか。
 悪党ども、この桜吹雪の刺青が目に入らぬか?
 これでも知らぬと言えるのか!」
遠山金四郎は勝ち誇ったように言った。
テレビでおなじみのせりふです。
実際はどうだったかは分かりませんが(そうではなさそうですが)、この遠山の金さんこと遠山左衛門慰(金四郎)景元も明智と関係があるのです。
明智秀満の弟・遠山利景は松平清康の妹で家康の育ての母松平久子の妹を妻としている。
そのためか家康から尊重に扱われた。その分家筋に遠山の金さんが出ている。
posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月06日

松平久子・徳川・明智・坂本竜馬

松平久子の子(父は鈴木重直)は、遠山利景に嫁いでいる。
利景の兄は、明智光秀の娘婿の明智左馬之助光春(秀満)である。
伝えによれば、明智左馬之助光春(秀満)の妾腹の子、
太郎五郎が、近江国坂本城が落城したため、土佐にのがれ、
坂本城の地名、坂本姓を名乗って帰農した後に四代目が
酒造業に転じた。やがて町人郷士となった。
むろんこの種の家系伝説というのはほとんど付会説か作りばなしが
多いのですが、坂本家の紋が光秀の桔梗紋を継いでいることを思と、坂本家ではたてまえとしては左馬助の子孫を称していたことを思うと不思議でならないし、左馬助の子孫を称していたことをある面スゴイと思う。
posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月05日

松平久子・徳川家康・明智光秀・明智秀満

随念寺(岡崎市門前町)
1563年に家康が創建した楼門と白土塀の美しい寺で、
松平七代清康(家康の祖父)の妹・久子の墓がある。
久子は、家康が生母於大と生別して以来、家康を
養育した人。東海道を見下ろす丘陵に建てられた
一連の社寺の中でも、幕府の庇護が厚く、城の
防衛拠点としても名残りを、今もよく残している。
松平久子の子(父は鈴木重直)は、遠山利景に嫁いで
いる。利景の兄は、明智光秀の娘婿の明智秀満である。
posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 21:50| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月04日

徳川家康・壬申の乱

関ヶ原は、徳川家康の900年前にも天下分け目の決戦の舞台
になっていた。いわゆる壬申の乱である。
1600年9月15日未明、家康配下の3万余は、ここ桃配山周辺に陣取り、家康はこの山頂において、大馬印を高々と掲げ、指揮にあたる。
最後の陣地に移るまで、各陣営からの報告をもとに、
しきりと作戦会議が開かれたと思われる。
桃配山は、壬申の乱の時、天武天皇が兵士を励ますために桃を配ったところだという。
徳川家康が縁起をかついでこの桃配山に陣をおいたといわれる。

posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月03日

徳川家康・トヨタ

徳川家康の先祖である松平氏が愛知県豊田市の出身であることは
意外と知られていないかもしれない。
三河人気質が世界のトヨタにつながっていくのだろうか。
さらに中世の三河は足利氏の重要拠点であった。
このことも意外と知られていないかもしれない。

posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月02日

徳川家康・織田信秀

万松寺(名古屋市中区大須)
天文16年(1547)三河の松平竹千代(のちの徳川家康公)
が6歳の時から約2年、万松寺で暮らしたことがある。
万松寺には、織田信長の父である信秀の廟所がある。

posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする