2007年06月20日

明智門・大徳寺・金地院・天海

明智門(京都市左京区南禅寺福地町・金地院)
天正10年明智光秀が母の菩提のため、黄金千枚を
寄進して大徳寺に建立せしを明治初年、金地院に移建す。
金地院は、慶長の始め崇伝長老が南禅寺塔頭に移建。
金地院崇伝は徳川家康に近侍し、天海僧正と共に幕議に参画。
この金地院に明智門は移建された。

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2007年06月18日

明智風呂・織田信長の墓

明智風呂(京都市右京区花園妙心寺町)は天正15年(1587)
塔頭太嶺院(廃寺)の密宗和尚が、
明智光秀の菩提を弔うために創建。
明智風呂の近くに開山堂がある。
ここに織田信長の墓がある。非公開。パンフにも載っていない。
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2007年06月17日

明智光秀・細川ガラシャ・細川護熙

細川護熙
第79代総理大臣。
元熊本藩主の細川家18代目。母方の祖父は、五摂家筆頭で
第二次世界大戦前に首相を3度務めた公爵・近衛文麿。
父・護貞は、近衛首相秘書官。
戦国時代末期の細川忠興・ガラシャ夫妻は、先祖。
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2007年06月15日

明智光秀・福知山城

福知山城が近世的な城郭に築城されたのは、
天正7年(1579)、織田信長の命を受けた明智光秀が
丹波を平定した時から始まる。
地元の記録によると、明智光秀が、近隣寺院の石塔を集め石垣とし、由良川の流路をかえ城下町を守る堤防を築いたとなっている。
又、光秀は福知山町に地子銭免除の特権を与え、
三丹一と称された商都の基礎をつくったとして彼の功績を讃え、
非業の最後を慰さめるため御霊神社が建てられ、
元文2年(1737)から御霊会(現在の御霊まつり)
が行われ始めました。
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2007年06月14日

教科書でおなじみの「織田信長像」

教科書でおなじみの、重要文化財「織田信長像」が
名古屋市博物館(瑞穂区瑞穂通)にて、
平成19年6月16日から6月24日までの期間限定で公開される。
信長像は天正11年(1583)、信長の一周忌法要が
長興寺(豊田市)で行なわれた際、
生前の信長を知る狩野元秀が描き、奉納したとされる。
縦70cm、横30cmほどの小振りな絵だが、
信長の特徴をよく表しているといわれている。
原則「門外不出」とされ、戦後は地元豊田市の郷土資料館や
1992年のスペイン・セビリア博物館などで計6回公開されただけ。
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2007年06月13日

明智光秀・織田信重

織田信重
津田信澄の長男。母は明智光秀の娘。
祖父は織田信長の弟・織田信行。
大坂の陣では豊臣軍として活躍。
大坂城、落城後、幕府に自首。
徳川家康に罪を許される。
豊臣方につくも、
母が明智光秀の娘だったので許されたのだろうか。
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2007年06月12日

明智光秀・大石内蔵助良雄

大石内蔵助良雄
熊本駅近くの細川家ゆかりの安国寺に保存されている「土岐系図」
である。
その寺は、光秀の子明厳梵鉄和尚が開山したものという。
その系図には、光秀の側室として公家原仙仁の娘があげられている。
この原仙仁が何者なのかよくわからない。
その長男は松寿丸とある。
次男は秀寿丸は三宅藤兵衛を名乗り、その後細川忠興に仕えて肥後
に住みついたという。
恐らく、この人物が明厳梵鉄和尚ということなのであろう。
不立は三男である。
四男は於鶴丸。
五男は光保。
六男は浅野内蔵助で、「忠臣蔵」で有名な大石良雄の祖父という。
疑わしいところもあるということだが。
大石内蔵助良雄は光秀の子孫ということになる。
学研「俊英明智光秀」の永井寛氏の追跡・光秀の末裔参照。
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2007年06月11日

明智左馬助・徳川家康

松平久子は、徳川家康が生母於大と生別して以来、
家康を養育した人である。
松平久子の娘(父は鈴木重直)は、遠山利景に嫁いでいる。
利景の兄は、明智光秀の娘婿の明智左馬助(弥平次)光春(秀満)である。


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2007年06月10日

明智光秀・遠山の金さん

遠山の金さん
「そんなに遊び人の金さんを見たいか。
悪党ども、この桜吹雪の刺青が目に入らぬか?
これでも知らぬと言えるのか!」
遠山金四郎は勝ち誇ったように言った。
テレビでおなじみのせりふです。
実際はどうだったかは分かり
ませんが(そうではなさそうですが)、
この遠山の金さんこと
遠山左衛門慰(金四郎)景元も明智光秀と関係があるのです。
明智秀満の弟・遠山利景は松平清康の妹で徳川家康の育ての
母・松平久子の妹を妻としている。
そのためか家康から尊重に扱われた。
その分家筋に遠山の金さんが出ている。
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2007年06月09日

明智左馬之助・坂本龍馬

伝えによれば、明智左馬之助光春(秀満)の妾腹の子、
太郎五郎が、近江国坂本城が落城したため、
土佐にのがれ、坂本城の地名、坂本姓を名乗って帰農した後に、
四代目が酒造業に転じた。やがて町人郷士となった。
坂本家十代、坂本権平の弟だった龍馬は、
明智につながる家系を誇りとして、桔梗紋をつけた。
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