2007年06月08日

明智左馬助・坂本竜馬

「幕末の坂本竜馬は明智左馬助(弥平次)光春(秀満)の子孫であるという。」
この一節の中にひょっとしたら歴史の秘密があるのではと思わされたのです。
むろんこの種の家系伝説というのはほとんど付会説か作りばなしが多いのですが、
坂本家の紋が光秀の桔梗紋を継いでいることを思うと、
坂本家ではたてまえとしては左馬助の子孫を称していたことを思うと不思議でならないんです。

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2007年06月07日

明智光秀・坂本竜馬

坂本竜馬には次のような歌があります。
世の人はわれをなにともゆはばいへ
わがなすことはわれのみぞしる
本能寺を前にした明智光秀には次の一首があります。
心知らぬ人は何とも云はば云へ
身をも惜しまず名をも惜しまず
二人はどのような心情でこれらの歌を詠んだのでしょうか。
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2007年06月06日

明智光秀・ことわざ

三日天下
明智光秀の天下が短期間で滅んだことから、
わずかな期間しか政権(実権)を保持できないこと。
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2007年06月05日

豊臣秀吉・明智光秀・天王山

天王山
豊臣秀吉と明智光秀が、天王山で勝敗を決めたことから、
勝敗の決まる機会。
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2007年06月04日

明智光秀・洞ヶ峠を決め込む

洞ヶ峠を決め込む
明智光秀は、山崎の合戦で恩顧をかけていた筒井順慶に
協力を求めるが、順慶はこれを断り、光秀は合戦に敗れる。
このとき、順慶は山城、摂津、河内の国を見おろす洞ヶ峠に駐屯して戦局を傍観、豊臣秀吉勝利と見るや直ちに峠を下り、
秀吉に見方したことから、
日和見の代名詞「洞ヶ峠を決め込む」の語を生んだ。
しかし、実際この地にいたのは、筒井順慶ではなく、
順慶の参陣を待つ明智光秀であった。
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2007年06月03日

本能寺・茶屋四郎次郎

茶屋四郎次郎
江戸時代の京都の豪商。幕府、御三家の御用呉服商。
朱印船貿易に従事した。姓は中島、代々四郎次郎を称す。
茶屋四郎次郎・新四郎屋敷跡
京の豪商茶屋四郎次郎は,六代まで中京区新町通蛸薬師下る
に居を構えていた。
本能寺跡からすぐ近くにある。
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2007年06月02日

徳川家康・茶屋四郎次郎

茶屋四郎次郎は、江戸時代の京都の豪商。
幕府、御三家の御用呉服商。
朱印船貿易に従事した。姓は中島、代々四郎次郎を称す。
初代清延、2代清忠、3代清次。清延は徳川家康の伊賀越えに協力したことで知られる。
清延は本能寺の筆頭檀家であった。
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2007年06月01日

織田信長・本能寺の変

ドラマでの演出では、深夜の襲撃のように感じるが、
旧暦の6月といえば、現代の暦では7月にあたる。
今の7月初旬の日の出は、4時40分から50分頃。
甲冑を着け、弓、鉄砲、槍を携えた集団が約1万人。
7月初旬の4時頃の襲撃に、なぜ織田信長は気づかなかったのか。
すでに気づくことができなかったのではないか。
posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月31日

織田信長・本能寺大茶会

1582年6月1日  本能寺で大茶会を開く。
織田信長の人生で、たった一度だけ大人数を集めて会合を持った。
それは本能寺の変の前日6月1日、本能寺大茶会だった。
このときは、わざわざ安土城内に大事に保管する数々の大名物・名物38種を茶会会場となる本能寺まで運搬し、一堂に披露した。
この大茶会の出席者は、近衛前久父子、九条兼孝、一条内基、二条昭実、鷹司信房、今出川晴季、徳大寺公維ら41名の公家、京の五山などの寺社の代表、京を代表する商人の歴々などである。
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2007年05月30日

明智光秀・愛宕神社

明智光秀が詣でた愛宕神社は、ただ近所にある神社ではないのです。
標高924メートル、愛宕山の頂上にある愛宕神社は、
山麓の清滝からでも約2時間の登山が必要になるのです。
本能寺の変を前にした50半ばの光秀が、愛宕神社を詣でたことを、
どうか心に留めていただきたいのです。



posted by 楽苦我喜歴史館・館長 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする